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2006年12月 1日 (金)

四角い光

僕は、アパートやマンションの窓から漏れてくる、四角い光が好きだ。
光があるということは、そこには誰かがそこにいることを意味しており、そこで生活が行なわれているということ。
直接それを覗きたいという衝動はあるわけではないが、漏れてくる光を見ながら、中にあるであろうその人の生活を想像するのがとても楽しい。
また、その光から生活の匂いを感じるのが、とても嬉しい。






今日夜、帰る道すがら、とあるアパートに出会った。


そのアパートは、どの戸口からも光が漏れておらず、暗闇にまぎれた暗い色をしていた。

「まだどの家の人も帰ってきていないのかな」
物憂げな、寂しいアパートを見上げながら思った。



足を進め、窓の方からそのアパートを見上げても電気はついていない。
と、アパートの入り口付近を見やると、共用の鉄製の扉には鍵がかけられ、人が出入りできないようになっていた。

「ここは、誰も住んでいないアパートなのか」
雑草が庭に生え茂っていたり、アパートが朽ちかけていたりしたら、
すぐに「このアパートは使われていないんだろうな」と想像ができたのに、
ここは寂しげではあったが外装は比較的新しく、こざっぱりしていて、
今すぐにでもどこかの部屋から電気が灯ってもおかしくないくらいだった。



帰る足を進めながら、それぞれの部屋の窓の景色を見る。
確かに、住んでいればあるはずの物干し竿も、洗濯物も、観葉植物も、部屋からはみ出した荷物も、アンテナも、室外機も何もなかった。
あるのは、どの部屋にも窓の前に一様に並んだ、錆びた色した布団を干せるような鉄製の囲いだけだった。



アパート全体を眺められる位置まで、歩を進める。
以前まであったであろう、生活感あふれる温かい雰囲気はまるで感じられなく、ただ冷たい建物がそこにあるだけに見えた。
役目を終え、あとは思い出と共に壊され消されていくのを待つ身だけであるアパートを思うと、なんだかとても切なくなった。




僕が住むアパートが見えてきた。
隣りの部屋、上の部屋の明かりが灯っている。
生活がそこにある。
そう思うだけで、なんだかそこに帰る僕は、とても嬉しくなった。

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コメント

どこがとは上手に表現できないのですが
最近ちょっと文章が変わりませんでしたか?
何か心境の変化でしょうか?

投稿: 夕陽 | 2006年12月 1日 (金) 02時55分

『隣りの部屋、上の部屋の明かりが灯っている。
生活がそこにある。』

あ これ 夜の帰宅中の車内で
窓の外見ながら
すごく良く思います

投稿: maru | 2006年12月 1日 (金) 07時29分

東京育ちの私は、暗いのが苦手です。いっぱい電気がついてるビルの間を通って、街灯のついてる道を帰る。

うちに帰った時に、電気がついてないと不安で仕方ない。
夜も電気つけて寝たい。ほんとは。

小さい時、夜目が覚めちゃってトイレに行くとき、両親がまだおきてて、居間の電気がついてるとものすごくほっとしたのを思い出しました…

投稿: さいちゃん | 2006年12月 2日 (土) 00時40分

>夕陽さん

読んでいた小説の影響ですかね・・・。

言葉を選びながら書いているときは、気難しい文章になってしまうときが多いですね。

乗って書いているときは、自分らしい文章になっているのではないでしょうか。

投稿: りょーちん | 2006年12月 8日 (金) 00時28分

>maruさん

そのことが書きたくて書いた感がありますね。
この文章。

窓から、ドアから出ている光が、生活を感じさせる。

とてもほっとして嬉しい光景です。


投稿: りょーちん | 2006年12月 8日 (金) 00時30分

>さいちゃんさん

うちの実家は長野なんですが、夜になると、周りは真っ暗でね。

怖くてどうしょうもない日は、空一面広がる星を見ながら、家に帰っていました。

時々帰る実家では、星の多さにいつも圧倒されます。


投稿: りょーちん | 2006年12月 8日 (金) 00時32分

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